【奈良県 十津川村】玉置神社
「呼ばれた人しか行くことができない」と言われている、玉置神社。
玉置神社の詳細は、こちらの記事(【奈良】神秘的な世界。熊野三山の奥宮、玉置神社を訪れてみた)からご覧ください。
今回は、一般的な視点(観光等)ではなく、「呼ばれた人しか行くことができない」と言われる理由について考察していきたいと思います。
※あくまで、わたしの考察ですので、話の一つとして捉えていただければと思います。
「呼ばれた人しか行くことができない」と聞くと、神社に到着するまでのことを想像される方が多いと思います。実際に神社までの道のりは険しく、道を間違えてしまう人もいれば、険しい山道に心が折れてしまう人もいると思われます。
幸運にもわたしはそのようなことはなく、割とスムーズな形で、神社に到着することができました。
参拝をし、山頂からの景色を楽しみ、大満足で帰路につきました。
しかし、帰宅後にパンフレットを見て、あることに気づきました。
「社を一つ、飛ばしている…」
注意深く案内を見ながら歩いていたつもりでしたが、立ち寄れなかった箇所が一つありました。
そう。それが、白山社です。
わたしの考えすぎかもしれませんが、玉置神社の案内図を見返してみると、限られた人しか立ち寄れないような構造になっていました。
参道に入る際に、写真のような別れ道があります。特に下調べもせず、健康体のわたしは、迷わず右のルートを選びました。
白山社があるのは、左のルート。
つまり、白山社に立ち寄ることができるのは
- 玉置神社について、事前に調べてきた人
- お身体の不自由な人
- 山頂に行くことを諦め、引き返した人
以上の方々となります。
白山社に祀られているのは、菊理姫命(くくりひめのみこと)。
黄泉の国との境界で対峙する、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冊尊(いざなみのみこと)の仲裁に入った神様です。
御祭神、御神体や土地柄など様々な観点からみてみると、玉置神社は黄泉の国と現世の間に位置する場所ではないかと思います。
「まだこちらの世界(黄泉の国)に来るのは、はやいよ」というアドバイスなのか
「自分に必要な縁は、自分で見つけなさいよ」という叱咤激励なのか…
訪れる人々にとって、様々な解釈ができる場所だと感じました。