八朔発祥の地。受け継がれる歴史と、繋ぐ未来

写真家 村上さんとの会話の中で明らかになった、八朔(はっさく)発祥の地。
一体どのような過程で尾道に辿りつき、誰が発見し、広まっていったのか…。多くの疑問が浮かんできました。

今回は、多忙な村上さんに無理を言って、八朔発祥のルーツをご紹介いただきました。それは一つのストーリーとなっており、私自身もその物語に感銘を受けました。

村上海賊によって尾道へ

八朔の元となる果実が日本に降り立ったのは、1580年。
因島の村上海賊たちが、異国より持ち帰ったとされています。(村上海賊は海上の武士団とも呼ばれ、海を行き交う船の安全を守ったり、関所を作って交通をスムーズにする役割を果たしていました)

村上海賊の拠点

1587年の記録として残る古文書に、九年母の植栽を命ずる決め句があります。 九年母とはジャワ島エリア原産の果実で、村上海賊が持ち帰ったのではと推測されているものです。

2016年に行われたDNA解析では、お母さん(種子親)がザボン、お父さんが(花粉親)九年母と判明。このことから、八朔は因島で自然実生した果実だとされています。

実際に、当時栽培されていたとされる場所にも足を運んでみました。

付近にあった、藤原神社
御神木が…!

市天然記念物とされているビャクシンの木(樹齢400年)が、倒れた状態で管理されていました。このことから、雨風をダイレクトに受ける、開かれた土地であったということが予想されます。

八朔は日当たりの良い、温暖な気候が育てやすいとされていますので、栽培に適した場所だったのではないかと感じました。

八朔を発見!

因島の一角でひっそりと栽培されていた八朔が、日の目をみることとなったのは江戸時代終わりの頃。因島田熊町の浄土寺の境内で、住職の恵徳上人によって発見されました。

ジャガタと呼ばれていた名称を八朔に命名したのもこちらの住職で、苗木を育て、広めていこうという取り組みがされるようになりました。大正時代になると出荷組合が設立され、村農会技師の田中清兵衛が販路を開拓し、全国へと広まっていきました。

境内には、八朔の原木も保管されています。尾道と八朔の深い繋がりが感じられました。

後世へと繋がれていく。新たな取り組み

このように先代から受け継がれ、八朔発祥の地としても名の知られつつある尾道市ですが、近年は事業者の高齢化や後継ぎ問題などで農家が少なくなり、生産量も減少傾向にあるそうです。これは尾道市以外にも見られる問題で、一次産業の継承が国全体の課題ともなっています。

そんな中で両親から畑を引き継ぎ、八朔をはじめとする柑橘類の栽培に従事されている若き事業者、大出ファームさんを訪問させていただきました。

生口橋を臨む畑
写真家の村上さん(左)と大出さん(右)

大出さんはUターンをし、地元因島にて、農業に携わっています。なるべく農薬を使用せずに栽培されているため、大きくて綺麗な実ばかりではありません。小ぶりの柑橘もあれば、傷の付いた実もあります。

しかし、土作りや剪定を丁寧にして段々畑で太陽の光をたっぷり浴びた柑橘は、どの柑橘も甘くて美味しいと評判になっています。

みかんを試食させていただきました
突如始まった 青空キッチン
濃厚でとてもおいしかったです

近年はまちづくりの一環として、柑橘類を活用した商品の開発が行われています。

八朔のコンフィチュール入りのチョコタルト (写真提供:ナチューレ)
八朔ピール (写真提供:ナチューレ)

とてもおいしそうですよね!
八朔ピールは開発時に試食をさせていただきましたが、苦味と甘味のバランスが程よく、止まらなくなるおいしさでした。

こちらの商品は、地元の人々に愛されるケーキ屋さん「洋菓子工房ナチューレ」でお求めいただけます。
バレンタインの贈り物にも最適ですね。気になる方は、HPよりチェックしてみてください。

尾道を訪れてみよう

4回に渡って、尾道市についてご紹介してきました。初めて知ったという事柄も、多くあったのではないでしょうか。
この記事が尾道の良さだったり、自身と通じる部分があったと気づくきっかけの一つとなれば幸いです。

そして今回、極秘入手した情報によりますと、今春、因島を舞台にツアーが開催されるようです。ツアー同行は、今回の旅でお世話になりました、写真家の村上さん。 八朔畑での搾りたてジュース試飲や、村上海賊の記念館など所縁のある場所を巡り、因島と八朔の関係性に迫っていきます。

ツアーのご案内は、写真家 村上宏治オフィシャル ストックフォトサイトにて、後日公表されるそうです。サイトでは、村上さんが撮影された美しい作品の数々も拝見することができます。気になる方は、是非チェックしてみてくださいね。

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